碧にほどける:9
ようやく街を抜け、郊外へと差し掛かった。ひき直された黒いアスファルトの上を滑るように進む。窓の外では山の緑が深くなっていくにつれ、木々の隙間から細い筋のような光が差し込み、車内に淡い影を落としていく。ファイノンはその眩しさに目を細め、暫く無言のまま窓の外を見ていた。
「この道、最近アスファルトを新しくしたみたいだ。以前はもっと凸凹してて大変だった」
「そうなんだ? よく知ってるね」
「ドライブコースでこの山道をよくショートカットに使うんだ。近くに確か――〇〇村っていう観光施設っも近くにあったはず」
「〇〇村? へえ、面白そうな場所だ」
「今度一緒に行ってみようか。夢の国みたいに混んでないし、落ち着いて楽しめると思うよ。それに、謎解きとかあるし」
「謎解き! いいね。僕は、まだこっちの夢の国は行ったことないけど、人が多いって噂はよく聞くね。地元でもそうだったよ」
「でも、僕はこうやって色んな景色を見るのも好きなんだ。さっき言ってた、その村も気になるけどね、今度見に行ってみたいぐらいに」
「すごい、あれ全部水?」
「ダム湖だからね。大雨の時とか、放水するときの水しぶきは本当にすごいんだよ」
「へぇ……あっ。あの建物は何?」
「ダムの管理所か、発電所じゃないかな。ほら、電子看板に今日の放水量とか載ってるよ」
やがて峠道に入り、カーブが続くやや急斜面を登っていく。標高が上がるにつれ、外の空気は澄んでいき、木々の隙間から見える街の風景が次第に遠のいていった。この先は、ほとんどが山道で町も暫く巡り合わない。だがその分、ドライブコースにはうってつけだ。信号もなく、曲がりくねった道の先にあるのは、標高が高い場所でしか見れないちょっとした観光スポットのような場所がある。
「これからまた揺れるけど、大丈夫?」
「うん……っていうか、運転上手だね。こんなうねうねした道なのに、スムーズに進んですごいよ」
「そう? まあ、慣れもあるよ。いつも週末はこういう道を走るから」
「ふふっ、スピード出た時、ジェットコースターみたいでドキドキした」
「あー……流石にジェットコースターよりは、こっちの方がまだ優しいんじゃない?」
「でも、同じぐらい面白いよ」
峠の頂上近くまで来たところで、視界がふいに開けた。手前には一面の山が広がり、その向こうには小さくなった街並みが見える。さらに遠くには、別の山々が並んでいて、山頂にはうっすらと雲がかかっていた。
頂上には、ちょっとした観光スポットとして小さな休憩施設や食事処などがあり、そこそこ広い駐車場が設置されている。週末とはいえ、昔と比べて訪れる人はずいぶん減ったようだ。遠目に見える駐車場は、ぱっと見ただけでもほとんど車が停まっていなかった。入口まで車を進め、空いたスペースにゆっくりと停車する。長距離を走ってきたため、エンジンはかけたまましばらく休ませることにした。
先に車を降りていたファイノンが、周囲の景色を見回しながらぽつりと呟く。
「ここ、は」
家から遠すぎず、何度も訪れたことのあるこの場所は、今の愛車を買ったばかりの頃、運転の練習を兼ねてよく訪れていた場所だ。そして同時に、かつて父に教えてもらった、街が一望できる隠れた絶景スポットでもある。
何度も足を運んだ場所だからこそ、最近は思い出すことすらなかった。もしかしたら、感動すら置き去りにしていたのかもしれない。
だが、ファイノンと並んで改めてその景色を眺めていると、胸の奥がほのかに高鳴った。懐かしさと、新鮮さその両方が、重なるように蘇ってきた気がした。
「――すごい。この場所が、こんなところにあったなんて……気づきもしなかった。ありがとう、連れてきてくれて」
「どういたしまして。ファイノンの息抜きにはなったかな?」
「息抜きっていうか。感動だよ。本当に……なんと言えば良いのか……これはもう、ドライブの虜になっちゃったかも」
「ふふ。それは嬉しい誤算だ。大人になって、君が車を持ったら――こういう景色でも見に行くために、またドライブを楽しむといいよ」
雲の切れ間から差す光が山肌を照らし、緑の陰影がゆるやかに揺れている。山の向こうに連なる街並みは、白と灰の箱庭のように小さく、整然と並んでいた。遠くで小さく鳥の鳴き声がして、風が木々をざわめかせていた。
ファイノンは両手を手すりにかけたまま、何かを胸に刻みこむようにその光景を見つめていた。細い指が風に揺れている。
「ねえ……あの道、見える?」
「帰りはあそこを下っていくの?」
「そうだね。たぶん、あのカーブをいくつか抜けたら、分岐していたところの広い国道に戻るよ」
両手を木製の手すりにかけたまま、身じろぎひとつせず立ち尽くす。表情は落ち着いていて、喜びも驚きも表には出ていない。だが、どこか微かな緩みがある。それが何によるものなのかは、わからなかった。感動かもしれないし、懐かしさかもしれない。あるいは単なる疲労による沈黙かもしれない。ただ、あの横顔には、ほんのわずかに風にほどけたような静けさがあった。目の前の光景に何を重ねているのか、彼自身にもはっきりとは掴めていないのかもしれない。それでも、そのまなざしは確かに、一瞬だけどこか遠くへ焦点を合わせていた。