碧にほどける:8
そんなやり取りが何度も続いた、ある週末の朝のことだった。いつものようにドライブへの準備をしていると、呼び止めてきたファイノンがぽつりと呟いた。
「その……僕も、遠出してみたいんだけど……いいかな」
「いいよ。流石に今日は急だから、来週末に一緒に行こうか」
「っ本当? なら、約束。僕、楽しみにしてるから」
窓を少し開けて、初夏の風を車内に取り込む。ハンドルを握る手に意識を向けようとするのに、指先が妙に落ち着かない。彼と出かける約束をしただけだ。それだけのはずなのに、どこか胸の奥が騒がしい。
――なぜ、あんなにも嬉しそうだったのだろう。
素直な言葉と、嬉しそうに微笑む姿を思い出すたびに、少しだけくすぐったいような、照れくさいような気持ちが胸に残る。まるで自分が自分でないようだ。ただ、覚えはある。友達に同じ趣味を共有できることへの嬉しさに似た感覚だった。最初とあとの数回だけではあったが、印象深く記憶に残っている。
それに、ファイノンは引っ越してきてからずっと遠慮がちだった。故に、自分から「行ってみたい」と伝えてきてくれたことは頼られたようで嬉しいのかもしれない。
信号待ちでふと顔を上げると、フロントガラス越しに、青空の下に緩やかな山並みが見えていた。今日の目的地は、山を超えた先にあるちょっとした歴史博物館のような場所だ。父の雑誌に「気分転換によく行く」と書き込みがあった所である。実際に何度も連れられた覚えもあるし、人混みも少なく歴史を感じられて気分転換にはちょうど良い。
そうして、ふと運転しながら思いついた。彼が好きそうな場所はあったりするのだろうか、と。今までそんなことを聞くこともなく、気にしたこともなかった。せめてこの地域で見られるものとしたら限られてきてしまう。
そもそも、彼がドライブに興味を持ったのはなぜだろうか。週末に出かけるから、が理由であるなら理解できる。けれど、それだけで遠慮がちな彼が自ら興味を示すには、少し材料が足りない気もした。もしくは、別の理由があるのだろうか。それとも、何かのきっかけがあったのか。
そう考えたとき、不意に思い出す。そういえば、あの雑誌を彼に見せたことはないが話題になったことがあったな、と。
引っ越しの整理の時に話題に出たくらいで、それからは特に話題になったことはない。だが、その話題について深く踏み込まれるのを私は避けた。初対面の親戚に対して、片づけたはずの部屋をもう一度確認したいという気持ちもあったが、それとは別にあの雑誌の話題に触れさせたいと思えなかったのかもしれない。ページに書かれた父の達筆な文字や、次第に形が崩れていく文字は行き先の候補や落書きがあり、かつての記憶が少しずつ蘇らせる。それは時には鮮明に思い出せるように。記憶と感情の結び目になっており、手放すことができなかった。
彼はそれに気づいていたのだろうか。言葉にせずとも抱えている思いをどこかで感じ取っていたのだろうか。これは、深く考えすぎかもしれない。それでも、ドライブという趣味に対して、彼が興味を持ってくれたということは事実だろう。
彼は、居心地の良い空間を作ってくれている気遣いが上手な子だ。ささやかながら、何かしらのかたちで感謝を返せればと、考える。
本当に、来週に一緒にドライブに行くとしたら、彼の最初のドライブ先は、景色がよく、遠すぎず、疲れさせない場所が良いだろう。いくつもの候補が頭に浮かび、すっと馴染む場所を思い出した。
初めてドライブが好きになった、自分の原点となった思い出の場所。他の場所と比べて遠くもないし、険しい道も少ない――そうだ、最初ならあの場所に案内しよう。生前父が連れてきてくれた、懐かしさを感じさせるあの場所へ。
思わず顔が緩みそうになる。記憶の隅に残している過去の情景が、気まぐれに道を探索していた頃のを思い出して、わずかに青かった心が蘇った気がする。
「帰ったら、ルートを考えておかないと」
***
約束をした週末がやってきた。
まだ朝の空気が少しだけひんやりとしている頃だった。私は事前に片付けていた助手席の確認をして、少し緊張した様子のファイノンをそこへ案内した。
そして一つ懸念していたことが予想通りとなった。それは彼が持つ高身長のことだ。助手席を一番後ろに下げても、外国で育ったファイノンにとっては狭いかもしれないと思っていたのだが、その不安は的中し、やはり快適性が犠牲となってしまった。
国産車は外国人向けには作られていない。外国人との体格差は一見すれば明確だ。国産車がよく走る道路は最近だと広く感じられるが、基本的に狭い道が多い。国に合わせた形にしつつ快適性を持とうとするなら、細く縦長くなる。軽自動車やワンボックスカ―が人気で、セダンや外国車が少ないのはそれも理由の一つだろう。一般的なものより広いサイズの国産車でさえ、外国人にとっては狭く感じるのではないだろうか。何せ、外国は道が広いし走行距離も長い。それらを踏まえて性能を求めた結果、広く長い車がほとんどだ。
助手席に座った彼はドアを閉めると同時に、窮屈そうに肩をすくめる。
「大丈夫? やっぱり狭いよね」
「いや、僕が望んだことだから。頭さえぶつけなければ問題ないよ」
それにしても、彼は相変わらず相手を気遣う様子が上手い。まるで当たり前かのように自然とこなす言動に少し恐ろしさを感じてしまう。学生の頃の自分には、あんな穏やかさも気遣いもできていなかった。彼はまだ学生というのに、どこか歳月の流れをひとつ先に歩んでいるように見える。
ただ、きっとこのドライブに行きたいと言ってくれたのは嘘ではないはずだ。楽しみにしていてくれたということだけを頭の片隅に置いて、気持ちを切り替える。
ようやく定位置を決めたらしい彼は、シートベルトを締める。窓の外に視線をやり、静かにほっと息をはく。その様子を見届けてから、出発前に声をかけた。
「じゃあ、行こうか」
「うん。えっと、目的地はないんだっけ?」
「いや、今日はある。ま、行ってからのお楽しみ」
現在乗っている愛車は、一般車と比較して過剰とも言える馬力を持つスポーツカーだ。一般道にとってそれほどパワーは必要はない。だが、それが良い。マフラー音は周囲にもはっきりと響くほどで、エンジンが打つ強い脈動は、「ただ強く、速く走ること」で存在している。
また、MTでもある愛車には、アルミでできたクラッチペダルがある。そのクラッチを踏み込むたび、足裏に伝わる金属の抵抗感が、機械と人との境界を確かめさせてくれるのだ。ギアノブを握った手には、時折わずかな震えが伝わり、その反応を指先で受け取りながら、私は速度と回転数をすり合わせていく。そして、過剰な馬力を持つが故に、アクセルを軽く踏み込むだけで、景色がぐっと手前に流れ込んでくる。低重心の座席から見上げるフロントガラス越しに、建物や電線が斜めに後ろへ飛んでいく。近くにあった景色はすでに遠くなっていたように、そのサイドミラーには、小さくなっていく街が映る。その光景は圧巻に尽きない。何度乗りこなしても、新鮮に感じることだった。ただ、その圧巻の走りは使える機会が限られてしまうものだが。
ミッションのギアが噛み合うたび、アクセルを踏みこむたび、エンジンが応えるように低く唸る。まるで、次はどこへ向かうのかと訊ねてくるようで、私は応じるようにアクセルを踏み込み、車体ごと行き先を託す。車が行く先を示してくれるのだ。その先に行けば、新たな景色を見れると信じて、共に楽しむ。
もう一つ車の魅力を伝えるのに大切なことがある。一般の車もそうだが、このような車には車特有の癖がある。その癖を知るためにも、定期的な整備は欠かせない。例えば、愛車も含まれるスポーツカーとは、燃費がいいとは言えないし、足回りなどには気を使う。だが乗りこなしていくうちに、そういうものだと愛着が湧く。これはただの道具じゃなく、手間がかかる分だけ、返ってくるものがあると思っている。
“運転すること“それ自体を楽しむ人間にとって、車はただ連れていってくれるものではなく、一緒に走る、家族や友人ようなものかもしれない。それもいろんな種類があるだろう。私に至ってはドライブが好きで、だからこそ愛車共に、景色を見ながら走ることが楽しい。
時々、あえて音楽は流さず、車の音を聞きながら運転する時がある。車外のくぐもった環境音以外には、車内にエンジンの脈動、タイヤが拾う路面の摩擦音、サスペンションが伝える細かな凹凸――それらの機械音が、車内にゆっくりと染み渡ってくる。機械と身体がかすかに重なり合って、一体になるような瞬間だ。車を操るというより、同じものを聴き、感じ、進んでいるという感覚だ。ハンドルのわずかな遊びまでが、道路の調子を語っている気がする。そのすべてが愛おしいと思う。