矛盾の銃声:2/4

 ナナシは彼に催促される救急箱のある部屋へと案内した。
 そこは殺風景な部屋だった。
 締め切られたブラインド、古びたタンス、そして一人用のベットがあり、仮眠室のような場所だった。
 ナナシとアルハイゼンはこの部屋をあまり使うことがない。
 ただ、清潔感を好むアルハイゼンによって、いつでも使えるようにはされていた。
 アルハイゼンはその部屋のベットにナナシをそっと下ろした。
 彼女はバランスをとるようにベットの腰を掛け、胸に抱えていた物を、目の前の彼に手渡した。
 それは、古びた本だった。

「この本は――」
「今日こそはと思って、取ってきたんだ。
昔、アルハイゼンが読んでいたっていう本を」

 本を受け取ったアルハイゼンは、薄汚れた本の表紙を撫でた。
 なつかしさに過去の記憶がよみがえるが、ページを開くと、部分的に紙が破れていた。

「わ、破れてる!? ごめん、ちゃんと中身を確認すればよかった」
「……いや、構わない。ありがとう。よく見つけてきたものだな、昔話をしたのは一度きりだったはずだが」

 本を閉じ、表紙を淡く撫でるアルハイゼンに、ナナシは安堵した。
 彼の態度や感謝の言葉だけではなく、それを渡せたことに酷く安堵した。抑圧していた胸中の蓋が、ぱかりと開かれていく。
 彼女の膝に雫が落ちはじめると、彼は呆れたように腰からハンカチを取り出した。
 手を伸ばし、ハンカチで彼女の涙を拭う。

「前から思っていたが、君はよく泣くな」
「渡せてほっとしたからかも。嬉し泣きっていうのかな」

 ナナシは暖かな気持ちに涙が止まらなかったが、軽快に笑みを浮かべた。
 その姿にアルハイゼンも小さな笑みを浮かべる。
 彼女のその笑みは、先ほど会った時よりも、いつも通りのナナシの姿に近い。
 遠慮なくハンカチで涙を拭う仕草も、素直に感情を告げるところもだ。普段通りの姿のままだった。
 だが、彼女の今の容態が目に入ると、どうしても彼の胸中は荒々しさを増していき、表面上の冷静さを装うことに神経を集中させていた。
 アルハイゼンは探していた救急箱が、ベットの下にあることに気づき、引き寄せる。
 そこには、最低限の消毒液と包帯のみしか残っていない。それでも、彼は手当を始めた。

「はは、こんな状態で手当なんて合理的じゃないね、アルハイゼン。断っても?……って言っても続けそうだね」
「ああ。理解が早くて助かる」
「もう5年以上も経つからかなー。なんとなくキミの性格がわかってきた。それに、今日は丁度キミの記念日だしね」

 アルハイゼンは慣れた手つきで血を拭い、汚れを拭きとっていた。
 ふと、「記念日」という言葉に手を止める。

「……毎年祝う必要はない、とあれほど言ったはずだが。
律儀なやつだ」

 そう言って作業を再会させる彼の姿に、ナナシは笑った。
 彼は、彼女のちぎれた外套や上着を脱がせ軽装にさせる。
 服の下に隠れていた外傷への消毒と応急手当を終えると、最後に残されたのは、片腕に巻かれた布の先だけだった。
 アルハイゼンがそれに手を伸ばそうとすると、ナナシは突然彼の手を拒んだ。
 彼女の顔を見上げると、困ったように笑いだす。笑いで誤魔化しているが、その体は震えていた。
 それだけには触れさせたくないと、アルハイゼンに目で語る。
 最初に彼女に会った時から、隠されていたそれは未だ布に血が滲み続けている。
 他の外傷は血が固まっているが、そこだけは今も血を滴らせているのだ。
 腕に目線を逸らすと、隠されている患部の近くの肌は薄っすらと緑色に変色しており、血管が太く隆起しどくどくと脈をうっている。
 まるで、別の生き物のように。
 アルハイゼンの胸中に、言葉にできない悲しみが浮かぶ。
 だが、それは現実だ。彼女の腕の様子から察するに、近い将来、彼女は確実に――外に居る怪物や屍たちと同じ末路を辿ることになる。

「律儀なのはね、それでもキミに贈りたかったんだ。だって、形って大事だから」

 彼女の言葉に、アルハイゼンは息を飲み込む。
 ナナシは淡く笑いながら、目を見開くアルハイゼンの姿を見る。
 彼の首元にある銀のネックレスを見つめ、彼と過ごしてきた5年間の時間を思い返すように、ゆっくりと瞳を閉じる。
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