矛盾の銃声:1/4

 アルハイゼンは明日以降の計画を立てるため、机に広げた地図を眺めていた。いくつかのポイントに、手にしたペンで印をつける。
 思案に沈む彼の耳に、階段を上がってくる足音が隣のラジオから微かに届いた。
 ラジオは拠点周辺の音を拾うよう、改良した自作の装置だ。
 アルハイゼンはペンを置き、ラジオに触れると音量を最小に絞る。隣に置かれた銃を手に取り、椅子をなるべく音を立てずに離れた。
 足音が部屋の前で止まると、ノックもなく扉が開く。
 開かれた扉の入口に、彼は銃口を向ける。相手がアルハイゼンの視界に入った瞬間、彼は目を見開いた。思いがけない相手とその姿に、彼はゆっくりと銃口を下げる。
 入口に立っていたのは、見知った女性――ナナシだった。
 しかし、その姿は彼が知る姿とは違い、血にまみれてボロボロだった。

「君の油断にはほとほと手を焼いているが、今回は大目に見るわけにはいかないな」

 アルハイゼンは額を押え、深いため息をつく。
 ナナシは笑みを浮かべて苦笑した。彼女の顔色は著しくなく、唇も青い。だが、彼女の笑みは普段通りのものだった。

「ごめん、しくじっちゃった」

 薄汚れた白い壁のクロスを背に、彼女は体を凭れる。真っ赤な色に染まる姿が目に映える。

「何かあれば、無線機で連絡を取るよう言ったはずだ」
「訳あって、無線機が使えなかったの」

 彼は言葉を続けようとしたが、改めて彼女の状態を目にし、声を失った。
 ナナシが、そっと外套に隠れた布でぐるぐる巻きにされている片腕を見せる。
 それは今も赤い血が布に染み続けていた。
 微かに見える肌は少しずつ赤黒く変色しかかっており、力強い血管の流動が見られる。

「腕を切ろうと思ったんだけどね、もう遅かったんだ」

 苦々しく呟かれた言葉は彼女の覚悟が見て取れた気がした。
 傷の深刻さから想起される最悪の光景が、彼の脳裏に浮かび、行き場のない激情が胸を満たす。
 思わず目を逸らしたアルハイゼンは、一度冷静さを取り戻すべく銃を腰に収めた。
 近くにあったラジオの音量を元に戻し、椅子に腰を下ろす。瞼を閉ざして彼は深呼吸をした。
 まずは、彼女から状況を聞かねば。顎に手を添えながら、壁に凭れ掛かるナナシを見上げる。

「……もういいよ。本当に君は俺を振り回すのが得意だな」
「うん……ごめん」

 目を伏せるナナシ。しかし、直ぐに顔を上げて早口で続けた。

「あの――いつもの食料調達場所だけど、別の集落の人たちがいて占拠されていたの。結構な人数だったし、あそこはもう使えないと思う。だから、次の場所へ移動するか、他の手を考えた方がいい」

 アルハイゼンは黙って頷いた。
 落ち着きを取り戻した彼は机の上にある地図を眺めて、再びペンで書き記した。
 それから、ゆっくりと椅子から立ち上がり、再び彼女の目の前に近づいた。
 真っ直ぐに見下ろされる視線に、ナナシは首を傾げる。

「周辺で何が起きたかは理解した。それより、今は君の状況を確認したい」

 真剣な彼の眼差しに、ナナシは戸惑いながら頷いた。

「えっと……しくじっちゃって?」
「それはさっき聞いた。その一言で済ませれると思うか?」

 近づいた彼女の容態を観察すると、他の小さな外傷も目に入る。
 あちこちに、ゾンビに噛まれたような痕、爪のひっかき傷、骨が見えるような深い傷まで存在している。
 傷口は血で固まっているが、容体は深刻である。ショック症状も時間の問題だろう。
 この状態で今も立っているのは不思議だ。
 そして、何より――普段の彼女であれば、無傷できりぬけられたはずだという慢心が――積み重ねた信頼があった。
 だが、現実は違う。
 アルハイゼンの胸中に、刺すような不快感と苛立ちが渦巻いた。

「だよね。
腕をなくしたようなものだし。戻ったら驚くだろうなって思ってはいた」
「はぁ……なぜそんな状態で笑っていられる?」
「なんでだろう? 自分でも不思議だよ。あんまり痛くないからかな……」

 力なく笑うナナシに、アルハイゼンは眉を顰める。

「いつから痛覚がなくなった?」
「ここに来るちょっと前、かな」

 彼は長いため息をつき、腕を組んだ。重い沈黙が流れる。
 やがて、アルハイゼンは救急箱を探そうと、近くの棚へと向かおうとした。
 ふいに裾が引かれ、振り返るとナナシが「あの」と、少し顔を暗くして彼を呼び止める。
 すぐに離されたが、微かな力が伝わった。

「なんだ」
「棚に箱はないよ」
「……最後に触ったのは君か」

 ナナシから別の場所を告げられ、アルハイゼンは向かおうとする。
 しかし、再び裾を掴まれる。
 ナナシは眉を下げて笑い、腰から何かを取り出そうとした。

「渡したいものがあって」

 そう言って凭れ掛かる壁から体をずらした瞬間、彼女はバランスを崩した。
 倒れる前にアルハイゼンが抱き留める。
 ナナシは驚きつつも、から笑いをしながら謝った。
 その様子を、彼は黙って見つめ返した。

「片腕を失って、バランスを取れという方が無茶な話だ」

 バランスを崩したものの、取り出した物を胸に抱えながら、ナナシは頷いた。
 体を支えるアルハイゼンから離れ、壁に寄りかかろうするも、彼はそのまま彼女を抱き上げた。
 浮遊感に思わず、彼女は自身の体ごと彼の体に押し付けてしまう。
 必死に落とさないよう、彼の服を握りしめながら、アルハイゼンが向かう先を待った。
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